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陶芸を通して冒険をジャパンクタニの伝承と德田八十吉として生きる

人間国宝三代徳田八十吉を父に持つ九谷焼の陶芸家四代徳田八十吉さん。九谷五彩や先代から受け継いだ鮮やかで美しい色をご自身らしさへ変化させ、独自の世界観を作り上げているその背景や生き方についてお話を伺いました。

四代徳田八十吉

人間国宝の父と中村錦平先生が陶芸家のルーツ

三代徳田八十吉

幼稚園の頃から習い事があり、陶芸家の父の顔や仕事をじっくり見たことはありません。当時の私は父が陶芸を仕事にしていることさえ知らなかったのです。

父は戦争終結により価値観や目標を失って辛かった時期があったと思います。そういう時代を経験している人なので、私に何かを強要せず、家業である陶芸を継いでほしいと一言も言いませんでした。


私は20代に石川県立九谷焼技術研修所に入り、焼き物の世界に足を踏み入れました。それまでも父の作品は見ていたし、展示会なども一緒に行っていましたが、あの柔らかな粘土から焼き物が出来上がる想像すらつきませんでした。父から陶芸を教えてもらうこともありませんでした。

九谷焼技術研修所で学ぶことをきっかけに、「ものづくり」に対する姿勢や将来陶芸を職業にする可能性について考えるようになりました。制作や作品に対する価格や対価への責任を感じるような見方へと変化したように思います。


研修所では中村錦平先生から教えを受けました。錦平先生は金沢のご出身で、「東京焼」で様々なオブジェの制作をされています。金沢駅に新幹線が開通した時の門型柱の陶板の制作をはじめ、建築に携わらせてもらう経験を重ねるたびに、錦平先生からの影響を受けたことを感じざるを得ません。焼き物の世界にそういうものがあるということを教えてもらったのです。


陶芸家としての責任感と使命感

徳田八十吉陶房

当時女性は結婚するのが当たり前という風潮が強く、私自身も専業主婦になるつもりでいました。陶芸は嗜みといった位置づけで職業にするとか、家を継ぐことは考えてもいませんでした。

父が逝去後、お花の先生から「今の1年は昔の10年と同じ。1年経つと八十吉という名前を忘れられてしまうから、半年で襲名しなさい」と。その鶴の一声で襲名を決意しました。


ご縁があって徳田八十吉を継いだので、震災や作品が落選した時、病気やコロナ禍に、心が揺らいでついスタッフに「やめたい」とこぼしてしまうこともあります。でも私を鼓舞してくれるスタッフや、年老いた母、マネージャーを置いて、自分だけ「お先に失礼します」とはとても言えないです。そのような使命感が私を後押ししてくれるのです。


陶芸家として仕事をしていた父の背中は、私に責任感や使命感を「三つ子の魂百まで」のように私の意識に植え付けてくれていたのだと思います。


「徳田八十吉」襲名は幸せなこと

私にとって九谷焼はなくてはならない存在です。趣味や仕事を超越した、二人三脚で歩んでいけるパートナーのような存在です。九谷焼があるから私がいると言っても過言ではありません。


「徳田八十吉」の名前を継いで良かったです。女性は世界でもまだまだ地位が低いなどと言われていますが、1人の人間として尊敬し、尊重し合えたら良いと。今の時代は、女性の陶芸家の先人もいて、自分の陶芸という道を進んでいられることは、病気をしたときに満足に歩けなかったことや、食べられなかったことを考えれば本当に幸せです。

女性の人生は選択肢を決めなくてはならない時期がありますよね。若い時代は、子どもを「産む」か「産まない」に加え、将来を選択しなくてはならない。そうした時期を乗り越え、70〜80代の人には「一緒に頑張ろうね」と言える私もいます。一人の女性として、また病気を乗り越え、仕事を持っている私の道程は、様々な人の励みになったらいいと思っています。

 

1. 彩釉鉢・遥

襲名の前年、日本伝統工芸展に初めて三代から受け継いだ徳田の色を使って制作した作品を出品、入選した作品です。

2. 彩釉壷・瑞穂

陶房の前に一面に広がる田んぼの稲穂からイメージして制作されたものです。


3. 彩釉壷・祭華

コロナ禍にご先祖様へ手を合わせているとき、祭壇に花が生けてある風景から、この作品が生まれました。

 

日本の美と「ジャパンクタニ」を伝承し続けていく

ロンドンの大英博物館に所蔵されている“昇龍”という作品は、父が亡くなって1年後、龍になって大きな牡丹雪の涙をはらはらとこぼしながら天に昇っていったというイメージで制作しています。引力の力を借りて逆さ焼きにして、龍が天に昇る姿を表現しています。


諸行無常や輪廻、三千大千世界などの仏教感を、作品を通して見ていただきたいです。亡くなる人や看取る人の癒しになる、言葉を超越したメッセージが陶芸にはあると思っています。


大英博物館にも収蔵され、NYで個展も開催できたので、陶芸家としてもう思い残すことはないと思っていたのですが、癌を患ったあとに“紅の扉”が出来ました。“紅の扉”は集中治療室の観音開きの扉をイメージして制作したのですが、この作品が入選したことで、生きていれば色々なことがあるのだと思いました。

父はシャープな線の作品が特徴でしたが、微妙に変化させて丸く女性らしさを表現するように努めています。私の心から手を通じて、どのようにしたら皆さんの心の負担を軽くして、癒しを感じていただけるか。作品を見るだけでほっとするような、長く愛していただける作品になるよう意識しています。


彩釉花器・昇龍 逆さにして窯に入れ、焼成した作品。龍になって天に昇っていたという三代八十吉への思いを込めた作品です。

九谷五彩と父からもらった色

陶芸は色だけあっても成り立ちません。塗る人がいて、調合、窯を焚く人、温度管理、デザイン、すべてが合致した時に陶芸は生まれます。「川の流れ」のように色も形も絶えず研究しなければならないですし、価値観だってどんどん変わっていくもの。一つとして留まっているものはないと思います。

私には父が残してくれた色があります。でもそこに満足して胡坐をかいていても一歩も先に進めません。常に研究し続け、父の色から変わってきています。作業そのものも大変ですが窯の温度や条件によって、その時々で出来上がりが違って、そこが面白いところなのです。


窯の神様がいて、自分の実力や想像以上のものを出してくれる時もあります。自分自身も「チャレンジをし続けることで、常に扉を開き続けることができる」と思っています。新しい出会いをお客様と一緒に旅し続けるイメージです。この国の四季があって、色を通して飽きさせないような冒険を。先が見えないから楽しいということも言えるのかもしれませんね。

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