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加藤吉平商店 - 梵で世界に羽ばたく

創業160年の歴史を紡ぐ加藤吉平商店の「梵(BORN)」は、国賓歓迎晩餐会や国際行事で採用されるなど、日本の酒文化を代表する日本酒として世界105ヶ国で愛されています。世界的酒類品評会において数10回以上もの最高賞に輝く「梵(BORN)」の日本の酒文化を伝道する十一代目 当主 加藤団秀さんにお話しを伺いました。



18歳で老舗の酒蔵を継ぐ覚悟

加藤団秀

昭和32年(1957年)師走、出産予定日より1ヶ月以上早くに、あわただしい年の瀬に生まれた私は、体重が2000g以下の未熟児でした。長男だった兄が幼いころ早世して、ようやく生まれた待望の男の子として大切に育てられました。父は剣道と水泳の選手だったので、その姿を応援したことをよく覚えています。


しかし父は、私が東京の有名大学の入学直前4月に、肝臓がんで52歳の若さで突然逝去。もともと9月からは、ボストンにある超一流大学のビジネス経済学部の入試に首席合格していたことから最初から留学予定だったので、東京の大学は中退の予定でした。そして、いずれは店を継ぐつもりでした・・。


もしそのまま留学を中断せずにいたら、きっと20年以上は戻って来なかったはず。私がそのタイミングで家業を継ぐことになったのは、神様が与えた天命だと思ったのです。もしそのタイミングで店を継がなかったら、今の加藤吉平商店はなかったかもしれません。20年以上早くに家業を継いだことは、自分の人生を20年以上大きくワープしたと考えました。


私のボストンの大学での留学は中途になりましたが、現在、航空会社で働く娘が同じボストンに留学した時は、まるで自分のことのように嬉しかったです。


父の偉大さを感じる研究所時代


入社と同時に、弊社に籍を置きながら3年ほど、東京国税局醸造試験研究所に行かせてもらいました。まだ20歳そこそこの若僧でしたが、加藤吉平商店の跡取り息子として、周囲からは大事にされて、沢山のことを教えてもらいました。今でもそのことは非常に感謝しています。


日本が誇る加藤吉平商店の銘酒の数々

酒造組合の会長や金沢国税局の酒類審査委員などを務めていた父親のことを、私は尊敬していました。しかし私は、一旦は父とは別の道を進んでみたいと思っていました。当時考えていた夢は、海外で好きな研究をして、10~20年ぐらいの海外勤務のあと、家業を継いでも遅くは無いと考えていました。


それが、父の突然の逝去により、家業を継ぐ決意をしたことは、私の天命だと思いました。


優秀な杜氏の手が、契約栽培された、

こだわりの酒米を、美味しいお酒に変える

当蔵のお酒は、厳選されたお米と、地下184mの深い井戸からの素晴らしい自然な水と、自社酵母を使って、蔵人全員で造られています。お酒造りは1人ではできません。そして、本当に美味しいお酒を造るためにはセンスと能力のある杜氏(製造責任者・ヘッド)が必要です。私自身も20代のころから酒造責任者として働いていましたが、現在の杜氏の平野明君(48歳)も20代の頃に岩手県釜石市から当蔵にはじめて来て、そのセンスに惚れ込みました。


平野杜氏が酒造りにおいて重要工程である麹製造を行っている様子。

「日本でトップのお酒を造ってもらいたい!」と、社内で飛び級で昇進させて若き杜氏(製造責任者)に抜擢致しました。その後、平野君は受験した南部杜氏認定試験において、全国で首席合格して顔写真が新聞にも掲載されるなど、私の目に狂いはありませんでした。


私の長男も大学卒業の後、IT会社を経て蔵に戻り副社長となって、今では杜氏と二人で、車の両輪となって酒蔵を立派に支えています。


当蔵は、20数年前から無添加の純米造りのお酒を造り続けています。契約栽培して頂いた酒米のみを使って、自社酵母で、純米造りのお酒を造っていることが当蔵の特徴です。


純米酒蔵になったきっかけは、私の高校時代からの親友から、「どうして日本酒にアルコールを添加するの?お米だけで造れないの?」という素朴な質問を受けて即答できなかったからでした。全国新酒鑑評会で金賞も受賞していたのに・・。ちょうど自社製品を世界に売り出そうとしていたところでした。


「よし、お米だけで,世界NO.1の日本酒を造ろう!」と一念発起したのです。


現在、世界中で穀物を食べない人は居ません。穀物の中でお米は美味しいと言われていて、そのお米の中でも日本産のお米は特に美味しくて最高品質だと、世界中で認知されています。その日本産のお米の中でも、特別に契約栽培して作って頂いた酒米(酒造好適米)で造っている、究極に美味しいお酒が当蔵のお酒「梵」です!と、胸を張ってPRしています。


ストーリーのあるお酒を造る

この信楽焼の狸の置物は 「他を抜く」という音読みから、日本酒業界でトップになって欲しいという祈願と※「三方よし」の教えを込めた置物です。 近江商人の社長から蔵元に贈られました。

当蔵の商品づくりは「物語」を創造するところから始まります。物語が生まれる時には「こういうお酒を造りたい」というイメージが湧いてきます。例えば「梵・夢は正夢」という商品は、「21世紀に残したい最高品質のお酒を市場に出す」という目標が設定されました。


“Dreams Come True”「夢は正夢となる」という、ご愛飲頂いたお客様には必ず、多くの夢が叶う・実現するという祈願酒でもあります。


同時に、願いや夢が叶った時の御祝いのお酒でもあるのです。夢を実現した人は、たった1人の”Only One”の勝利者なので、勝利者に贈るトロフィーを表現した手作りのボトルにしました。大きさは”Only One”の1L。ボトルの色はダークゴールドで、お酒を入れるとゴールドに輝きます。まさに人間と同じで、中身が無いと輝かないのです。


The Japan Times 2020年10月22日号に天皇陛下の国事行事記事と一緒に当蔵のお酒「梵・超吟」と「梵・日本の翼」が掲載されたことは、誠に光栄でした。


私はコロナ禍まで、日本酒をPRするために、1年間に70回以上海外出張をして参りました。しかし現在でも、米国はじめ欧州その他の日本酒のシェアは酒類全体の1%にも満たないのです。ということは日本酒には、99%の可能性があるということなのです。日本酒には無限の可能性があると信じています。


「加藤さん自身が”日本の翼”・”梵の翼“」と言われることもしばしば。海外に何度も足を運ぶのは、現地でスタッフ教育をしたいから。話してみないと、その人の中身はわからないですよね。動作や他人に対する言葉遣いなどから、半日一緒にいただけでも、人柄や考え方が理解できます。


日本酒が日本文化と世界の架け橋に

日本の酒文化はこれまで国内中心だったので、少し独りよがりの部分があったと思います。これからは日本を海外に紹介する上で、日本酒が最重要アイテムとして認知させたいですね。織田信長など戦国時代に活躍した多くの武将の嗜みは「茶道」だったと言われています。海外に日本酒を展開するとき、茶道のように「日本酒を知ることが日本を理解する嗜みだ」と思ってもらえるように活動したいと思います。


日本酒を酌み交わすのは「相手を尊敬する」という意味が込められています。日本の文化の縮図とも言えます。酒席での、相手に対する「尊敬」や「感謝」という所作が日本の酒文化そのものなのです。相手を認め、敬い、感謝するというのは、世界中のどんな人間関係においても最も重要なことだと考えています。

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