革新よりも質を
スイスのアルプス山脈に囲まれた美しいルツェルン湖畔に位置するホテル・ヴィツナウエホフのレストラン・センスは、他では味わえないダイニング体験をゲストに提供します。発酵に着目したオートキュイジーヌ(伝統的な高級フランス料理)は、想像力に富んだ料理と大胆さが印象的な味わいです。
レストランの中心となっているのが、ミシュランの星を獲得した若きシェフ、イェルーン・アフティン。来店する人々が驚くユニークな料理の組み合わせを生み出し、レストラン・センスのチームを率いる情熱あるシェフです。
今回はイェルーンに、その波瀾万丈な経歴、オートキュイジーヌへの情熱、そして料理人という仕事における職人技の重要性についてお話を伺いました。
ミシュランへの旅
イェルーンのシェフとしてのキャリアは、決して簡単な道のりではありませんでした。14歳で働き始めた彼は、決して夢を追うことを諦めませんでした。「14歳のとき、自分が何をしたいのか全くわかりませんでした。きっかけをくれたのは、シェフとしてオランダに自分のレストランを持っている兄です。兄が家に帰ってくるときに、いかに仕事に熱中しているかを見ていて、すごいなと思っていました。」イェルーンは当時をこう振り返ります。
それをきっかけに、兄のレストランを手伝うことからイェルーンのシェフとしての旅は始まりました。そしてその1年後、シェフになることが自分の人生の夢であることに気がつきました。
「シェフは、パン職人であり、漁師であり、肉屋であり、庭師でなければならない。さまざまなことに感謝し、常に学び続ける必要がある。私はそれにすごく心がワクワクしたんです。」
ケータリング会社からミシュラン星付きレストランまで、さまざまな場所で料理人としてのキャリアを積み上げてきました。フランスのリヨンにあるポール・ボキューズ・インスティテュートが主催する料理コンテストに参加したのち、初めてミシュランの星付きレストランで経験を積み、その後すぐにオランダの別のミシュランの3つ星(当時)レストラン、デ・リブライエで働くことになりました。
デ・リブライエでは週に80時間も働く中で、野菜を角切りにしたり、
ハーブを選別したりといった作業をしていました。その前の職場ではもっと多くのことをやっており、シェフとしてもっと複雑な仕事をこなせる自信が合ったイェルーンは、始めはがっかりしたそうです。
ですがある日、デ・リブライエで他の20人のシェフたちと一緒に料理の盛り付けに参加し、そこで全てが一変しました。「毎日自分が何のために野菜の角切りをしていたのかがようやく見えた瞬間でした。何かが変わり、そしてそれこそが私の望んでいたことだと気づいたのです」。
その日以来、イェルーンはデ・リブライエで8年以上を過ごし、ジュニアシェフからステーションシェフ、そしてスーシェフ(副料理長)へと徐々にステップアップしていき、そしてついに最後の年にはヘッドシェフに就任しました。
実は現在ホテル・ヴィツナウエホフで働いていることは偶然の産物でした。イェルーンはスイス旅行中にこの土地を訪れ、そこで突然の恋に落ちたのです。「ここは魔法の場所です。一歩足を踏み入れると、まるでおとぎ話のような世界なんです。」と話すイェルーンは、その後レストラン・センスのシェフやホテルのディレクターと知り合い、そこからレストラン・センスでのシェフとしてのキャリアが始まったのです。
「難しい味のハーモニーを一皿にまとめることができる瞬間は本当にワクワクします。まるで交響曲を成功させるような気分ですね。」
複雑な味わいの中に調和を見出す
イェルーンにとってオートキュイジーヌとは、さまざまな味がある中で、そのバランスをとることだそう。レストラン・センスで扱っている発酵食品は、強さと大胆さをマリアージュさせる挑戦的な試みとなっています。「口の中で世界を旅しているような感覚です。いろんな味が主張してきますが、最後にはすべてが調和するのです。」
味のコンビネーションを完璧に仕上げるには忍耐が必要だそう。それぞれの料理を洗練させていく過程は複雑で、徹底的に考え抜く必要があるのだとイェルーンは言います。
「この料理をもっと美味しくするにはどうしたらいいだろう?何かを加えたらいいのだろうか?クラッカーのようなものか、それとも野菜なのか。野菜なら、生の野菜なのか、漬けたものなのか。どんな味が足りない?何か新鮮なものが必要なのか、クリスピーな食感が必要なのか。など、考えればきりがないほどたくさんの要素があります。」
しかし、最後に辿りつく結果は、それだけ手をかける価値があるものだそう。「『よし、できた』とと思えた瞬間には、、それだけの努力をした甲斐があって素晴らしい気分になれるんです。」
そのため、新しい料理を開発するときは、絶対に焦らないよう心掛けているそうです。
「完璧な状態に辿り着くまで待つ忍耐力がなく、変化することに重きを置くシェフも多くいます。しかし、ただ変化したいがために変化するのではなく、質をよくするために変化する、という私たちのスタイルを、お客様は評価してくれると信じています。」
イェルーンはゲストの声もとても大切にしています。ゲストがどのように料理を体験しているかに注目し、その感想に耳を傾けることが大事だそうです。
Photo/ Ron Greve
創造性より職人技
偉大なシェフになるためには才能だけでは十分でなく、料理人としての職人技が最も大切だ、というのがイェルーンの考えです。デ・リブライエでソースと肉のセクションを担当していた3年のあいだは、毎日欠かさずランチやディナーで30種類以上のソースを40分以上かけて味見し、改善が必要かどうかチェックしていたそうです。
「職人技は時間をかけることが大切です。下から始めて上まで移動し、何時間もかけて何度も何度も同じことを繰り返すのです。」
「結局、時間をかけて何度も繰り返してこそ、職人技を身につけることができるのです。」
「味見スプーンを目の前にせずして一日は始まらない」とチームに常に呼びかけているイェルーン。「水を飲まずに一日を始めることはできないし、いつでもきれいなパレットを持っていなければならない。そしてそれは、小さなパン一切れでできるのです。」
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