フランス・シャンパーニュ地方の中心地ランス市近郊に位置する、19世紀創業のシャンパーニュメゾン「クリュッグ」。ヴィンテージや区画ごとのワインひとつひとつの質に一貫してこだわり、ブドウの個々の違いを尊重することで、シャンパーニュ文化の真髄を表現するメゾンです。シャンパーニュを味わう人たちの喜びのために、丁寧にバランスのとれた、真似できない調和の風味を生み出すことを誇りとしています。
現在メゾンのディレクターを担う、クリュッグ家6代目のオリヴィエ・クリュッグ氏。シャンパーニュ造りにおける一族の価値観や、芸術的視点の大切さ、そしてクリュッグ シャンパーニュの日本展開について、お話を伺いました。
「価値観の伝承」
幼い頃からシャンパーニュ造りに興味があったというオリヴィエ。父親が働くセラーに入ることは許されていなかったにもかかわらず、エネルギー溢れる少年だったオリヴィエはよくそこへ忍び込み、ワインの素晴らしい香りを感じていたのだそうです。「私にとってそれは、まるで魔法のようでした。いつかこの世界に入りたいと幼いながらに思っていました」
「シャンパーニュが生活の一部であることは小さいころから知っていましたが、それだけでなく、みんながシャンパーニュに高い敬意をはらっていることにも気づいていました。特別な日にはいつも父がシャンパーニュを開けるのですが、ボトルに触れることができるのは父だけでした」
オリヴィエにとってその父親こそが、ワイン造りという家業への興味をかきたてた人物。オリヴィエが経営学の学位を取得し大学を卒業するときに、クリュッグ メゾンの一員になるよう背中を押したのも、父でした。「23歳のとき、父が私のところにやってきて言いました。"私は15年後に引退するから、おまえが引き継ぐチームを育てるには15年しかない “と。それが、私がクリュッグ メゾンに入ることについて、父が初めて口にした瞬間でした」
経験や職人の技に加え、クリュッグが深い価値を置くことのひとつに、ブランドの基盤である伝統や技術、アイデアをしっかりと引き継いでいく「伝承」がある、とオリヴィエは言います。
「クリュッグに新しいメンバーが入るたびにいつも、伝承することを意識しています。自分は長年やってきたことかもしれませんが、誰かに伝えた日には、彼らはもうすでに次のステップに自分を投影しているのです」幼い頃からシャンパーニュ造りに興味があったというオリヴィエ。父親が働くセラーに入ることは許されていなかったにもかかわらず、エネルギー溢れる少年だったオリヴィエはよくそこへ忍び込み、ワインの素晴らしい香りを感じていたのだそうです。「私にとってそれは、まるで魔法のようでした。いつかこの世界に入りたいと幼いながらに思っていました」
「シャンパーニュが生活の一部であることは小さいころから知っていましたが、それだけでなく、みんながシャンパーニュに高い敬意をはらっていることにも気づいていました。特別な日にはいつも父がシャンパーニュを開けるのですが、ボトルに触れることができるのは父だけでした」
オリヴィエにとってその父親こそが、ワイン造りという家業への興味をかきたてた人物。オリヴィエが経営学の学位を取得し大学を卒業するときに、クリュッグ メゾンの一員になるよう背中を押したのも、父でした。「23歳のとき、父が私のところにやってきて言いました。"私は15年後に引退するから、おまえが引き継ぐチームを育てるには15年しかない “と。それが、私がクリュッグ メゾンに入ることについて、父が初めて口にした瞬間でした」
経験や職人の技に加え、クリュッグが深い価値を置くことのひとつに、ブランドの基盤である伝統や技術、アイデアをしっかりと引き継いでいく「伝承」がある、とオリヴィエは言います。
「クリュッグに新しいメンバーが入るたびにいつも、伝承することを意識しています。自分は長年やってきたことかもしれませんが、誰かに伝えた日には、彼らはもうすでに次のステップに自分を投影しているのです」
クリュッグを日本へ
クリュッグに入って初めにオリヴィエへ与えられた課題は、クリュッグ シャンパーニュを日本のマーケットに広めるという挑戦でした。当時アジアでは、クリュッグというブランド自体まだあまり知られていなかったため、父は「新しいマーケットへ飛び込むという挑戦が、息子にとって一番の勉強になる」と考えたのです。
「日本語は話せませんでした。日本のシャンパーニュ市場はとても小さく、私は代理店で働くことになりました。始めのうちは本当に大変でした、だれもクリュッグに興味がなかったのですから。当時の日本はコニャックの時代で、シャンパーニュはお呼びではなかったのです」さらにオリヴィエは続けます。「日本のトップレストラン100軒をリストアップし、それぞれのお店に少なくとも2回は足を運んで、コネクションを作ろうと決めました」
成功はすぐに訪れたわけではありませんでした。しかし、彼自身のエネルギーと忍耐強さで、日本国内に少しずつ、小さな販売拠点をつくることができるようになってきました。「愛を持ってはじめました。そうしたらみんな、すぐにクリュッグを好きになってくれた。最初の1日からクリュッグラヴァーをつくりだすことができたのです」
「日本では他の国以上に、熱い情熱を持っていなければなりません」と話す彼が日本のシェフにもたらした情熱は、彼自身とクリュッグというブランドを築き、他のワインメーカーをも圧倒しました。
「クリュッグは、想像できうるすべての香りを持ち合わせながら、それらがとてもうまく調和している。だから人々に愛されたのです。小さな泡が、舌の上で遊び回り味覚をもてあそび、それでいてエレガント。クリュッグは日本人の口に合う味なのです」
日本での販路拡大アプローチについて、さらに続けます。 「クリュッグはモダンでありながら親しみやすい味わいです。ワインのエキスパートでなくても、クリュッグのシャンパーニュを理解することができる。最初の一口は、少し驚くかもしれません。2口目は、花火のように華やかな香りを体験し、思わずうーんと唸ってしまうでしょう」
クリュッグ シャンパーニュが奏でるハーモニー
オリヴィエとクリュッグ一族にとって、音楽は長い間、傑出したシャンパーニュを生み出すためのインスピレーションとなってきました。それは、オリヴィエがクリュッグに入った初めの日に父から教えられたことでもありました。「この仕事は、音楽における指揮者だ。クリュッグはオーケストラのようなもので、私は毎年そこで、さまざまな音楽家と席を並べる。そして毎年音楽学校へ行き、新しい世代の音楽を聴くんだ」と。
音楽をきっかけに、オリヴィエは「クリュッグエコー」というプロジェクトで「ミュージックペアリング」という概念を創り出します。シャンパーニュと料理をペアリングするのではなく、音楽家を招き、選び抜かれたシャンパーニュにマッチする音楽を演奏してもらうという、音楽とシャンパーニュのペアリングです。
このアイデアは、2013年、オリヴィエが香港を訪れ、現地のオーケストラの団長に、それぞれのシャンパーニュに異なる音楽を合わせてほしいと依頼したことから生まれました。「クリュッグ2000から始めたのですが、団長が“これが私のペアリングだ”と言ったことを覚えています」
音楽とシャンパーニュ、2つは共鳴する、と話すオリヴィエ。まったくもって革新的なかたちでクリュッグ シャンパーニュを飲む喜びを心から味わうことができる「クリュッグエコー」はそんな場所になりそうです。
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