ローラン・グラッソは、映像、絵画、彫刻、インスタレーションなど多岐にわたる手法で作品を発表しており、特に、未来から過去へ、過去から未来へと自由に跳躍しながら文明史を俯瞰する視点で知られています。世界中の様々な地域の歴史、科学史や神話をリサーチし、雲、流れ星、皆既日食から奇跡的現象、遺跡、科学におけるパラダイムシフトや発見、花や植物の帯化現象など多様なものをモチーフに制作を行ってきました。また、光、音、電気、重力、波動、宇宙エネルギーといった目に見えない要素を可視化してき
ました。神話的であると同時に科学的でもあり、考古学的遺物のようにも見えながら非常に現代的で時にポップな作品群は、見る人の思考を刺激します。
Laurent Grasso, Stills of Orchid Island, 2023. HR film, 19’ 14’’.
©︎Laurent Grasso / ADAGP Paris, 2023. Courtesy of the artist and Perrotin.
日本では、2015年に銀座メゾンエルメス フォーラムにて個展「Soleil Noir」(黒い太陽)を開催し、また2016年には森美術館の「宇宙と芸術展」に出展しました。その際には日本の文化や伝承についても調査し、西洋文化と日本文化を折衷し、融合させた、奇妙で興味深い形態の作品群を発表しました。例えば「過去についてのスタディ」シリーズでは侍たちに囲まれた御神体としての巨石が描かれています。同シリーズは、江戸時代に常陸の海岸に出現した円盤型の舟と異国の女性の伝承『うつろ舟の蛮女』に取材した絵画および彫刻もあります。またキリスト教修道僧の身体に縄文土偶の逆三角形の頭部を持つ彫刻は、古の異星人のようでもありました。
未開拓地域を撮影したドキュメンタリーなどを彷彿とさせるモノクローム映像《Orchid Island》では、緑豊かな楽園のような島が映し出され、その遥か上空に真四角な巨大な雲がモノリスか空飛ぶ絨毯のように登場します。ゆっくりと威厳を保ちながら移動し、四角い影を海や亜熱帯林に落としながら黒い雨を降らせていく雲は、超常現象であり、そのものが神のような存在にも見えます。呪術的なメロディーの中で、原始的な自然とSF的であると同時に神話的な四角い雲が一堂に会する構図は、時代設定を不可能にする雰囲気を持っています。
Laurent Grasso, Studies into the Past. Oil on wood, 30 x 50 x 2.5 cm | 11 13/16 x 19 11/16 x 1 inch.
©︎Laurent Grasso / ADAGP Paris. Courtesy of the artist and Perrotin.
この映像は、蘭が自生していたことで知られ、現在では放射性廃棄物貯蔵施設がある事でも知られる台湾の島―蘭嶼島―で撮影された映像を基に制作されています。蘭は西洋では、18世紀頃から主にアジアの亜熱帯から輸入され、愛玩され、また交配されることで様々な種類を持つようになりました。そこには蘭という花、欄が自生する亜熱帯、多くの場合は植民地となっている地域に対するエキゾチシズムがありました。台湾原産の蘭というと胡蝶蘭を思い浮かべる人もいるかもしれません。しかし、そもそもは台湾で発見された可憐で小さな白い蘭が、日本の品種改良技術によって現在のような華やかな胡蝶蘭へと変化したことは、日本と台湾との様々な関係についても考えさせます。
また本作では風景や雲が主題となっていることも特筆されるでしょう。西洋美術史では「風景」は、14~16世紀のルネサンス期には、宗教的、歴史的、神話的物語の背景として描かれるようになります。レオン・バッティスタ・アルベルティによる四角い「窓」としての絵画論が生まれ、遠近法が発達したのもこの頃です。その後、宗教から解放されることで科学的な視点を獲得し
た画家たちは、自然をあるがままに表現するようになり、17世紀頃には「風景」は主題として描かれるようになりました。一方、東洋においては、風景画としての山水画はすでに5〜6世紀頃から存在しますが、山水画は仙人の住んでいる、この世には存在しない桃源郷を描いたものでもありました。さらに西洋美術史的な「雲」はユベール・ダミッシュの『雲の理論』 において語られているように、神の世界と人間の世界の境目として、人間の精神の上昇の方向を示すと同時にその上昇を阻むものであり、また天と地の間を行き来する天使そのものとして描かれてきました。また雲は、不定形なので、それを眺める人々の空想/投影と創造力を吸収しながら、時の流れと共に形を変えていきます。雲は現実と虚構の間の皮膜、半透明でグレーなゾーンの象徴でもあるのです。さらに、現代における「雲」は、全ての情報社会の根幹となるデータの保管場所としての「クラウド」をも意味することは忘れてはならないでしょう。
©︎Laurent Grasso / ADAGP Paris. Courtesy of the artist and Perrotin.
この、自然を上空から神の視点で眺め、四角い抽象的なフレームで切り取るかのように動いて行く雲/クラウドは、『2001年宇宙の旅』におけるモノリス的であると同時に、ジェレミ・ベンサムやミシェル・フーコーの全てを俯瞰する「パノプティコン」的視点を表象しているともいえるでしょう。映像にハイビスカスの花びらと対比的に登場するレーダーは、この自然が監視・管理されている場所であることを想起させます。また黒い雨は、自然に恵みをもたらすものであると同時に、核の雨もしくは環境汚染を引き起こすもののようにも解釈できます。故に、本作で、台湾という地政学的に複雑な場所に出現するこの黒い四角い雲は、こうした地政学的情報のクラウドであり、この様々な危機的状況への認識を促す窓、スクリーンとして機能するのです。
本展で展示されている4つの風景画の表面には半透明の膜がかかっており、映像の中では動くスクリーンとして機能していた雲が物質化しています。また黒い大理石でできた小さくて可愛い雲は、映像の中の神のような雲とは対象的です。ただ、同時に、海底の海洋生物が石灰岩となり、さらにそれが地殻変動によって大理石となる行程を考えると、この小さな雲は、巨大な黒い雲から海に降り注いだ水の記憶を秘めているかもしれません。
このように彼の作品に度々登場するSF的な超常現象は、我々が現実だと捉えているものが実は社会上の共通イメージによって成立しているものでしかないこと、さらに目に見えない要素を通して世界を分析すれば全く別の現実が出現することをも示唆しています。それを認知するためには時代を超えて世界を観る視点、時間を自由に跳躍することが可能な視点が必要なのです。現代のインターネットが普及した社会では、様々な過去の情報と最新の情報は並列に存在し、それは正に夜空の星たちの輝きのようにも見えます。なぜなら、空にある星々のうち、私たちはもう存在しない星の光の残像を、今も存在する星として観ているのかもしれないからです。グラッソに「線的な時間と円環的な時間のどちらを信じているの?」と尋ねたところ、「どちらもだよ」という返答でした。「2001年宇宙の旅」に登場するモノリスがシネマスコープのメタファーだと言われたように、この黒い四角い雲は、現代の環境問題や地政学的問題を映し出すスクリーンであり、時空を超えた視点そのものなのだといえるでしょう。
椿 玲子
森美術館キュレーター
開催概要
ローラン・グラッソ展「Orchid Island」
会場
ペロタン東京
(〒106-0032 東京都港区六本木6-6-9 ピラミデビル 1F)
会期
2024年1月26日 - 2月24日
営業時間
火曜 - 土曜 | 11時 - 19時
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