スイスのチューリッヒにある懐石スタイルの寿司店「Sushi Shin」で腕を振るうシェフの有村健一さん。2004年から3年間、山梨県の湖山亭うぶやに勤め、2007年から2011年まではスイスへ。初めてのミシュランガイドの星獲得後2011年からの約8年間は、最北端のハルビン(哈爾浜)市から海南島まで中国全土を駆け巡り、2国内外で腕を磨いてきました。日本料理の繊細な技術や美意識をそのままに、スイスでも受け入れられるメニューを探求する有村さんによってSushi Shinは2021年のミシュランガイドで星を獲得しています。そんな有村シェフの想いを聞きました。
一途に思い続けた料理人への道
ごく普通の5人家族の中で育ったという有村さん。小さい頃から食べることが好きで、好物をお腹いっぱいまで食べてお腹を壊すことがあったほど。
「高校のときは、よく自分で弁当を作っていました。料理は好きでしたね。」
プロの料理人の世界に関心を持ったのは、高校生から手伝いをしていた叔母の居酒屋での経験がきっかけだったと言います。
「お客さんにかけてもらった『ありがとう、美味しかったよ』の言葉がすごく嬉しくて。このとき、料理人を目指したいと思いました。」
両親から料理人になることを反対され、高校卒業後は自衛隊に就職。3か月間、料理を作る部門に配属されたことで、一度は諦めた料理への思いが高まり、2年間在職した後に結婚式場に転職。料理の道へと進みました。
日本文化を尊重したスタイルを貫き、
コミュニケーションを重視したサービスを
内陸国で鮮度の良い魚を安定して仕入れることが難しいスイス。日本料理を出すために必要な素材の確保も、有村さんがスイスに来た10数年前は、多くの苦労があったと言います。
「スイスに来た当時は、豆腐やこんにゃくなども手に入らなかったため、自分で作っていました。またスイスの水は硬水で、出汁を引くことができません。この頃はわざわざ山まで湧水を取りに行っていました。」
Sushi Shinのメニューは、シェフのおまかせでもてなすスタイル。日本の器を使い、懐石料理と同様の進め方で食事を出していきます。有村さんは日本の食文化をよく知らないお客様でもリラックスして食事を楽しめるように、心配りを欠かしません。
「事前に説明しないと、掻敷(かいしき)の葉を勘違いして食べてしまったり、天ぷらの前に出した天つゆを飲んでしまうことがあります。サービス担当のスタッフには、お客様に出すタイミングや料理の説明の仕方を丁寧に指導しています。」
有村さんがサービスで重視しているのはコミュニケーション。日本独特の盛り付けにスイスの人が戸惑わないように目を凝らし、ときには声をかけながら、居心地の良い空間づくりを行っています。
懐石のスタイルをスイスで実現するための葛藤と模索
カウンター越しに細やかなサービスが行われるSushi Shin。有村さんは客と対面して調理を行うスタイルを生かし、スイスの人に受け入れられるためのメニューの模索と研究を行ってきました。
「当時は日本料理のスタイルを崩すことに抵抗がありました。ですが、自分たちが良いと思う料理を出しても、食べてもらえなければ意味がありません。」
相反する想いに揺れながらも、国や地域の好みの味に合わせる必要性を感じていた有村さんは、模索する中で「日本の中でも地域によって人の味の好みは違う。スイスもその延長だ」と、気付いたと言います。
そうして有村さんは、自分の許せる範囲でこれまで手掛けてきたメニューの枠組みを壊し、胡麻豆腐にマスカルポーネチーズやミルクを使うなど、スイスでも馴染みのある食材を加えるといった工夫を凝らしました。
答えのない料理の世界。現地の人に受け入れられた今も、有村さんはお客様の反応を見ながらメニューに手を加え、新しい味への追求とチャレンジを続けています。
探求し尽くすことのない料理の世界は面白い
日本料理の基本を守りながら、新しいスタイルを模索する有村さん。常に胸に刻んでいるのは修行時代に聞いた親方の言葉だと言います。
「『料理は見て楽しみ、香りを楽しみ、そして食べて楽しんでもらうもの』と教わってきました。盛り付けや色のバランスは大切にしています。」
「料理人が進化をすることを続けても、終わりのない奥深い料理の世界は面白いです。親方からの教えを大切に守りながら、進化を続けたい」と語る有村さん。スイスの人との交流を通じて、自身の料理を進化させた経験から、「食材を生かす日本料理の素晴らしさは、国や文化が異なっても感じてもらえる」と、自信も覗かせます。
「山菜は日本独自の食材だと思われがちですが、ワラビやふきのとう、行者ニンニクなどは、山に囲まれたスイスでも採ることができる食材です。山にフキノトウを摘みに行くと、『それは何? 食べられるの?』と聞かれることがあって、日本では天ぷらや煮物で食べられていると話します。お店以外でも、日本の食文化を伝えられていると思いますね。」
今後の展望は、日本の“居酒屋”のように気軽に楽しんでもらえる自分の店をスイスで持つこと。食を通じたコミュニケーションを楽しみながら、今日も日本料理の新しい可能性を引き出すための探求を続けています。
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